近藤総合法律事務所
近藤千秋
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近藤千秋
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大阪、広島での検事生活を経て、昭和30年に弁護士登録。公正かつ熱意に満ちた視点で数々の事件を解決へと導き、多くの依頼者の信頼を得てきた。現在は、これまでの豊富な経験と知識を活かし、事務所所属の弁護士達への指導にも力を注ぐ、今年で弁護士歴45年を迎えた、ベテラン弁護士。


 私が大阪弁護士会に入会してから約45年、それ以前の法曹生活を加えるとやがて半世紀になろうとしている。今回、当事務所がホームページを一新するについて、スタッフの一員として、何か一文を書いて欲しい旨の事務局の依頼があったので、もともと第三者の目にふれるような内容の文章を書くのは性格上苦手であるが、自分の過去の反省と将来の展望を考える上でも、顧客に対する感謝の意を表しながら、自分の気持ちを引き締め筆を執ることにした。

 私が法曹の道を選んだのは、父と対等に物が言える自分になりたかったからである。父は、四国の貧しい農家の長男に生まれ、農学校を出た後、地元の銀行に就職したが、東京に出て学問をする希望を捨てきれず退職、単身上京して私学の夜間部で法律を学び、法曹の資格を得て検事となり以来、役人生活の大半を大阪で奉職、太平洋戦争が激しくなって終戦の直前高松に転勤、同地の検事局の次席検事をしていたが、たまたま土地の保護観察所長を兼務していたため、マッカーサーによる公職追放により、自己の意に反して解職させられたという経緯がある。

 父が検事の職にたまらなく魅力を感じていたことは、日常の行動によって容易に感じることが出来、家では父には近寄ると風圧を感ずるような存在であった。

 母は古いタイプの日本女性で、父にその生涯を捧げ、献身的に働いていたのを目の当たりにして、8人兄弟姉妹の長男である私には父の後を継ぐことを幼少の頃から心理的に強い圧迫感を受けていた。そのようなことで、私には職業選択の自由は限られ、生まれた時から将来の自分の進むべき道としてレールを引かれていたようである。

 従って、法曹という仕事に憧れもなく、不本意ながら父と同じ道筋に乗ったのであるが、今振り返ってみて弁護士の仕事程よい仕事は他にはないのではないかと思うようになり、父の存在がなければ今日の自分はなく、今では亡き両親に感謝している。

 弁護士は、顧客より委任を受け、依頼者の身分上・財産上の重要なものを事件処理を通じて関与することになるのであるが、先ず依頼者の話を懇切丁寧に聴いてその真意を正確に把握しながら、他方、法律面で最善の解決策を模索し、「与えられた仕事をこつこつと丁寧に処理すること」が依頼者の信頼を築く基礎であると考えている。

 仮に、もともと依頼者にとって有利な事件を引受け、結果的に勝訴しても、その解決に要した時間と費用を考えると、勝訴したことにならない場合、他方、敗訴することが十分予想される事件で、依頼者に十分に言い含めて受任しても、最終的には敗訴しても、長期間の時間をかけることによって、一部勝訴と言える場合もある。事件の進行に応じて依頼者にとって一番有利なチャンスを掴んで相手方と交渉し、和解または示談による解決をとる事も選択肢の一つである。

 バブル崩壊後の日本経済の急激な変化に対応して、日本はこの十数年、多数の法律制定・整備されているが、まだまだ時代の要請に十分応えているとは言い難く、弁護士は絶えず切磋琢磨して顧客のニーズに応えられるものでなければならない。

 当事務所は少人数ではあるが、若いスタッフが中心となり、他の事務所に比して勝るとも劣らない能力を備えており、機器も常に最先端のものを常備し、弁護士業務をサポートしている若い事務局のスタッフもIT機器を自由に駆使出来る能力を有しているものと確信している。

 このことは、太平洋戦争時代の軍国主義下の日本と、敗戦による混乱期、それに続く経済成長期、そしてバブル崩壊後現在に至るまでの各時期を経験したアナログ人間の自分には無縁のもののようであるが、古き日本の人情・芸術・文化には、古き良きものが多数あり、これからの将来の発展、技術的限界の進歩の硬直化に対して、失われたよきものの失地回復するにはアナログ人間の活躍の場が十分あり、同じ時代の老年や高年者層の法的相談に多少なりともお役に立てるものがあるのであれば、協力を惜しまずともに研究発展させたいものである。

 弁護士の仕事を通して顧客から学んだものは数多くあり、大事にしたいものである。戦前の学校教育に「よく学び、よく遊べ」と言うことを教えられた。私はこの言葉がすきであり、現代にも当てはまるものと信じている。時代の背景が異なっても、戦前には自分の身の回りに多くの自然が存在し、遊びを通じて数多くのものを学んできた。

 時代が変わり、戦後の焦土化した日本を再建する過程で、人と自然との付き合いも変わってきたが、弁護士という仕事を通じて調査・検討し、結論を出す過程で顧客から教えられたことが多数存在している。そして西日本の中心である大阪は、人情も厚く、よそ者でも温かく受け入れてくれる懐の大きさ、観光地にも恵まれ、食べ物も美味しく、永年住み慣れた私にとって、第二の故郷であり感謝の念に禁じ得ない。

 朝鮮半島を二分する38度線上にある板門店の休戦会議場の見学、フィリピンのマルコス大統領夫妻からの招待によるマラカニアン宮殿での昼食会、タイ国とラオス、ミャンマーの国境近くにある麻薬栽培地の見学、ネパールの豪邸からの招きで、ネパール料理の舌づつみ、中国国際旅行社(日本の運輸交通省)の若い女性官僚と中国旅行中のグリーン車内で会話が出来たこと、個人的には、カナダのトロントからニューヨーク行きの国際列車にトロント駅で切符を購入して家族で乗車し、ナイアガラの滝を遊覧した事等々…自分の法曹生活を振り返ると 感無量である。

 これらはレールによる旅行と、外国語にそれぞれ趣味を持っていたことによって得た想い出深いものがあり、私にとっては貴重な財産である。

 多少なりとも私の知識・経験の一部が顧客に供するものがあれば望外の幸せである。


所属団体

・大阪弁護士会>>

・明治大学法曹会

(以下、元会員)
・ローエシア(亜細亜太平洋法律家会議)
・金融法学会
・日本交通法学会


経歴
1948年
旧制明治大学予科入学

1949年
旧制廃止による同大学法学部編入

1953年
明治大学法学部卒業

1954年
司法試験合格

1955年
最高裁判所司法研修所入所
(修習期:10期 修習地:横浜)

1958年
大阪地方検察庁検事

1959年
広島地方検察庁検事

1960年
退官、大阪弁護士会へ弁護士登録

日弁連代議員、日弁連常議員
調停委員、司法委員
判例調停特別委員
人権擁護委員、財務委員
交通事故委員、法律扶助委員
広報委員、会館委員
非弁活動取締委員
紛議調停委員、司法修習委員

上記各委員を歴任(順不同)



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